女性ホルモンのバランスの崩れが強迫性障害を引き起こしていた
30代女性
発病までの背景
誰とでもすぐに仲良くなれるくらいにコミュニケーション能力には長けていると思います。不器用なところはありましたが、周りにはいつも友達がいて毎日笑っていました。そんな子供でした。
両親ともに仲が良く、4つ離れた妹がいて家族は仲が良かったと思います。
今思えば母親は少し強迫性障害っぽいところがありましたが、当時はただの心配性なのだと思っていました。
中学一年生の時に初めていじめにあい、一か月ほど学校を休んだことがありましたが、それから先は大きなもめごともなく比較的人間関係は上手くいっていたと思います。
私に現れた強迫性障害の症状
性格はわりと大雑把でした。多少のこだわりはあったものの、それで苦労したり周りに迷惑をかけたりしたことはありませんでした。
親からは「もう少し責任感を持って行動しなさい」と良く言われていた記憶があります。
自分が強迫性障害なのかもしれないと思ったのは32歳の時。ちょうど再婚した時期です。
再婚相手は優しく、子供との関係も良好でした。
このまま仲良くやっていけると安心した時、次男の幼稚園でPTAの役員になったのです。
イベントが異常に多い幼稚園で、その多くのイベントの主催がPTAだったので大変でした。
役員の中でのもめ事や先生たちとのやり取り、保護者との兼ね合いやイベントをこなしました。でも精神的な苦痛が大きく、正直なところギリギリでした。
家族の関係は本当に自慢できるくらいに良かったのですが、再婚してすぐの年、新しい環境に慣れていない状態でもあったので、色々なところに神経をつかっていました。
そんなある日、普通に閉めた玄関のドアの鍵が異常に気になり、「本当に閉めたかな?」ととても不安になりました。
これをきっかけに、鍵を閉めても必ずもう一度確認する日が続いたのです。
酷いときは一度出かけたのに、「本当に閉まっているだろうか?」という不安に耐えられなくなり、割と遠出していたのですが、わざわざ戻って確認することもありました。
症状はどんどん悪化し、外出する度に「窓は開いていないか?」「ガスの元栓は閉めたか?」「水道の蛇口はしっかり閉まっているか?」「換気扇はつけっぱなしではないか?」「冷蔵庫は開いていないか?」「テレビの電源は?」「コタツの電源は?」「扇風機は?」と、家にある全ての家電などが気になり、息子の参観日にも遅刻してしまったこともあったのです。
このままではいけない、何かがおかしいと思い夫に話して心療内科へ行くことに決めたのです。
私が行った治療
口コミで良かったのもポイントでしたが、以前母親がうつ病を患った時に受診した心療内科へ行きました。
最初の診察では今までの出来事や今困っていることを話し、簡単なチェックをしてもらったのです。
この時は不安障害かもしれないという診断でした。
一度薬が合わずに吐いたことがあったので、薬物治療は少し待ってもらい別の方法から治療を始めてみましょうという感じで終わりました。
話して理解してもらえたことで少し気持ちは落ち着きました。
次に診察をしてもらった時、症状は全く変わっていなかったので「強迫性障害」である可能性が高いと言われました。
抗うつ剤をつかうことで精神的にも楽になると言われたのですが、身体の不調を話すと「一度婦人科も受診した方がよい」と言われたのです。
長い間行ってなかったのでちょうど良いと思い婦人科へ行くと、血液検査の結果から重度のエストロゲン不足なのが分かりました。
ここでピルを使った治療が始まったのです。
これを心療内科で説明すると、女性ホルモンのエストロゲンが減少するとセロトニンが減少してしまうことがあり、精神的にも不安定になり、不安障害にもなりやすいと言われました。
幼稚園の役の大きなストレスが女性ホルモンを乱し、セロトニン不足から不安障害になり、強迫性障害にまでなったのだろうという話でした。
まずは、女性ホルモンの治療を優先すべきということで、結果的に抗うつ剤は処方されませんでした。
その後
ピルが体に合っていたこと、役の仕事が全て終わったこともあり、大きなストレスからも解放されて気持ちは穏やかになりました。
今でも玄関の鍵と冷蔵庫だけは二回確認してしまいますが、他は何とか自分の中で解消できるようになりました。
家族にも話し、私が不安になっている時は代わりに確かめてくれたり、「今窓から泥棒が入っても盗られるもの何もないよ!」と笑わせてくれたり、様々な形でサポートしてくれています。
誰かに打ち明けることの大切さとストレスの怖さを強く考えさせられました。
これからは、「完璧にしなければいけない」という考えを辞めて「まあなんとかなるさ」と思うようにしていきたいと思います。